<SRATEMENT>

2019年から、とやまの風土を表現するため「とやまの川」を制作しています。

 自然の風景写真と言うと、ふだん見ることができない色や形を求めているものかと思います。それを見たいと思う気質は暮らしている風土に影響を受けていると言われます。哲学者 和辻哲郎(1889年-1960年)は、風土とは人と自然とが非常に密接で切り離すことができないものであり、それぞれの地域の自然環境が影響して、気質・文化に、そして宗教への接し方にも影響を及ぼしていると述べています。また、日本は東アジア沿岸のモンスーン(季節風)の地域で、四季と言う気温・湿度の変化があり、時として台風や洪水などの暴威も受け、それにより、自然の変化を受け入れる気質が育ち、文化にも影響していると述べています。

 さて、郷土のとやま。日本のいち地方なので県内の風土は同じかと思いますが、県内を見渡すと中央部の山、更には大きな川が挟むと言葉が少なからず違います。それは、風土に違いがあるからだと思います。その要因は、近代までの地域を支配してきた権力、越えることが難儀な山、容易に渡れない川によって他の地域との交流を阻害され、それぞれの地域で風土が育てられたものと思います。

 とやまの風土を表現するにあたって、生命の維持や農耕に必要な水が根底と考え、その源である川に着目しました。川辺に立つだけでは風土は見えにくく、川辺に積み重なってきたものを探しました。たとえば川の名前、人は希望や期待を込めて名前を付けます。川の由来を探していくと、そこの風土が見えてきます。このように、川辺に積み重なったものを探すことで、それぞれの風土が浮かび上がってきます。とやまに流れる五大河川ごとの風土を表現し、全体を提示することで、川を通したとやまの風土を表現しました。単なる風景写真ではなく、人と自然とが混然一体となった風土を川をとおして表現したもので、それが、メインテーマのタイトル「とやまの川」の由来です。

<PHOTOGRAPH>

「常願寺川の調和」
 常願寺川の名の由来は諸説あるが、氾濫しないよう常に願っていたと言われる。
この川は、急峻な立山連峰から流れ落ちてくるため、氾濫により平野の暮らしを脅かしてきた。
天正時代には佐々提が作られたが、後年の安政時代には火を散らしながら大石が流れ落ちてきた。
しかし、その後の氾濫で地域を守ったことから水神様として祀られている。
 また、上流域は立山信仰の場所、称名滝の名は仏教に由来していると言う。
この川は、古くから幾重にも川辺の人と接している。

[称名滝]
滝の音は念仏を唱える(称名)のように聞こえたことから、この名が付けられたと言われる。
[ハンノキ滝]
称名滝と並ぶ細い滝、昔は涅槃(ネハン)の滝と言われたが、時代を経て今の名に転じた。
[穏やかな砂防提]
古くから堤が作られたが、現代になって大型で堅牢な砂防提が作られた。時には、自然と調和するシーンが見られる。
[真川のサイン]
支流の真川、日が強く当たる水面では光の模様が浮かび上がる。
[漂礫]
立山連峰から落ちてきた岩は、時間と川の流れで丸くなった。今では、急流の中に漂うように止まっている。
[水制]
強い流れから堤防を守るため水制(コンクリート製の円柱)が設置されている。穏やかな日は河原を眺める構築物として利用されたいる。
[鳶山からの水神]
安政時代の氾濫で立山連峰の鳶山から大石が転がってきた。その後の氾濫で地域を守ったことから水神様として祀っている。
[いたち川の延命地蔵尊]
支流のいたち川、氾濫で地蔵尊が流されたが、川底から引き上げ地蔵堂を建立した。ご利益から延命地蔵尊として祀っている。
[川より遠く]
春はホタルイカのシーズン、カモメたちはそれを求めて河口へと集まり、それが終われば棲家へと帰る。流れる水は、川より遠く空へと帰る。
<PROFILE>

大森國督 おおもり くにまさ
日本写真作家協会 会員

1955年 富山県生まれ
2018年 帰郷後、写真活動開始
2020年 個展「常願寺川の調和」を発表
2022年 日本写真作家協会 公募展入選
2023年 グループ展 Abox Photo Club Toyamaに参加

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